ヨハネによる福音書 16節25節

あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来た

神が人間始祖に戒めを与えたということは

 神が人間始祖に戒めを与えたということは。

 「しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。(創世記二・17)。

 人間が神の完全性に似て神の聖稟をあらわすようになれば、完全な対象として立つようになる。

 「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ五・48)。

 このようになれば、自動的に神と完全な授受作用の関係を結ぶようになる。

その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」(ヨハネ十四・20)

 このときの人間は、常に神のみ旨と一体となり、その考えと行動と生活の中心に神をおいて侍るようになる。

「わたしは、有って有る者」(出エジプト記三・14)

 「わたしは、有って有る者」(出エジプト記三・14)であるとモーセに言われたとおり、神は永遠なる自存者であられる

 神がこのような存在としてあられるための根本となる力も、永遠に自存する絶対的なものでなければならない、

 このような時間と空間を超越した永遠の力であり、決してつくられた力でなく、自存する神の本来の力を万有原力という。

男性と女性の相対的な関係によって存続し、発展してきた 【創世記二・18 / 一・31】

 人間の場合も神が、男性であるアダムが一人でいるのは良くない(創世記二・18)と言われ、その対象として女性であるエバを創造されたあとで、初めて善とされた(創世記一・31)。

 このように人類社会も男性と女性から構成されており、男性と女性の相対的な関係によって存続し、発展してきたのである。

「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。 したがって、彼らには弁解の余地がない」(ローマ書1・20)

 使徒パウロが「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。 したがって、彼らには弁解の余地がない」(ローマ書1・20)

 無形にいます神の神性を、私たちはいかにして知ることができるだろうか。 それは、被造世界を観察することによって知ることができる。

 すべての芸術作品は、それをつくった芸術家の見えない性禀を実体的に展開したものである。 このように被造世界の森羅万象は、それを創造された神が、神の見えない神性の実体対象として展開されたものである。 

 それゆえ、芸術家の性禀をその作品を通して知ることができるように、神の創造物を見ることによって、神の神性を把握することができる。

 

These things have I spoken unto you in dark sayings

JOHN 16/25

These things have I spoken unto you in dark sayings:the hour cometh, when I shall no more speak unto you in dark sayings, but shall tell you plainly of the Father.

 

ヨハネによる福音書 16/25

わたしは これらのことを比喩で話したが,もはや比喩では話さないで,あからさまに,父のことをあなたがたに話して聞かせる時が来るであろう。