ヨハネによる福音書 16節25節

あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来た

2024-01-01から1年間の記事一覧

考えや行動の中心を常に神におき、神に侍って生き、神性を帯びるようになる

神が始祖アダムとエバの与えた「 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」(創世記二章17節)という戒めを見ると、神は人間に、ご自身のみ旨と心情を直接伝えたというこを知ることばできる。 創世記一…

神は愛したい衝動の対象として、被造世界をつくられた

すなわち自分の中から無限にわきいずる衝動を満足させることはできない。 神は愛したい衝動の対象として、被造世界をつくられたのある。 「1はじめに神は天と地とを創造された。 2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっ…

イエスは、愛と犠牲で人類に奉仕するために来られた模範者であった

イエスは、愛と犠牲で人類に奉仕するために来られた模範者であった。 「それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり」(マタイ福音書二〇章28節)、そしてマタイ福音書七章1~2節の「人をさばくな。自分がさばかれないためであ…

「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。(ヨハネ十四・6)

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。(ヨハネ十四・6) イエスは、堕落人間が神の前に出ていくための仲保となると同時に、「道と真理と生命」の本体として来…

神が人間始祖に戒めを与えたということは

神が人間始祖に戒めを与えたということは。 「しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。(創世記二・17)。 人間が神の完全性に似て神の聖稟をあらわすようになれば、完全な対象として立つようになる…

「わたしは、有って有る者」(出エジプト記三・14)

「わたしは、有って有る者」(出エジプト記三・14)であるとモーセに言われたとおり、神は永遠なる自存者であられる 神がこのような存在としてあられるための根本となる力も、永遠に自存する絶対的なものでなければならない、 このような時間と空間を超越し…

男性と女性の相対的な関係によって存続し、発展してきた 【創世記二・18 / 一・31】

人間の場合も神が、男性であるアダムが一人でいるのは良くない(創世記二・18)と言われ、その対象として女性であるエバを創造されたあとで、初めて善とされた(創世記一・31)。 このように人類社会も男性と女性から構成されており、男性と女性の相対的な…

「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。 したがって、彼らには弁解の余地がない」(ローマ書1・20)

使徒パウロが「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。 したがって、彼らには弁解の余地がない」(ローマ書1・20) 無形にいます神の神性を、私たちはいか…

These things have I spoken unto you in dark sayings

JOHN 16/25 These things have I spoken unto you in dark sayings:the hour cometh, when I shall no more speak unto you in dark sayings, but shall tell you plainly of the Father. ヨハネによる福音書 16/25 わたしは これらのことを比喩で話したが…